Course Of ORIX 2

ブルーウェーブからバファローズへ
 2005年。新しい年がスタートしました。私にとっても慣れ親しんだ中学校を卒
業し、新たな生活がスタートする何もかも新鮮な年でした。
 ブルーウェーブもなく、楽しかった中学を卒業するという二つが私にとって非
常に大きい壁でした。しかし、いつまでもこんな気持ちでいたくありません。3月
13日。千葉マリンスタジアムに足を運び、オリックスバファローズとして最初の
試合を観戦してきました。まだ「バファローズ」というチーム名に違和感ありまく
りの私。静かに観戦していました。

2005年が開幕 揺れる気持ち
 そうこうしているうちに2005年のシーズンが開幕しました。所沢のインボイス
西武ドームで行われた西武とオリックスの試合を観戦してきました。千葉でロッ
テと楽天の試合も行われていたのですが、川越・松坂の同期対決や記念すべ
き開幕戦なので所沢に足を運びました。

合併球団の応援に感動。オリックス応援を決意
 この開幕戦で忘れられないものがあります。それは新生オリックスを応援す
る人の姿・・・複雑な気持ちに揺れる自分とは逆に愛する球団を失ったものの
新しい球団を応援する姿。旧近鉄と旧ブルーウェーブのファンが一体となって
新しいチームを応援している姿。この光景を見て私は涙が出たし、決断しまし
た。「自分もあの一員になりたい」と。
 結局この試合は佐藤のサヨナラヒットで負けてしまいましたが、そこには負け
た悔しい気持ちを持つ私がいました。迷いはない。普通にオリックスを応援す
るきっかけの日でした。

融合していく戦士達
 開幕してテレビで試合を見る日々が続き、なかなか調子は上がらないものの、
選手達は団結に向けて一つになるのに一生懸命でした。交流戦を機にオリック
スが波に乗り、多くの評論家の予想を覆すかのようにプレーオフを争っているチ
ーム、選手がいました。
 自分達より悲しい思いをした選手達がこんなに頑張っている。選手達が私に
勇気をくれました。悲しい出来事が多かった2005年。選手たちのお陰で私は
徐々に元気を取り戻し、毎日を楽しく過ごせるようになりました。
 チャンステーマ・丑男の「悲しみ乗り越え突き進め」の通りに活躍して、私を勇
気づけてくれた選手達。今度は私が選手を応援して恩返しできればいいなと思
いました。

プレーオフ争いまでまとめあげた仰木監督
 70歳になる仰木監督が監督に就任。近鉄・オリックス両球団で監督を務めた
だけあって最適な人でした。
 仰木マジックのおかげもあり、中盤からはAクラスに入り、負け癖がついたチ
ームを生まれ変わらせます。菊地原の進化、加藤・大久保の復活。ガルシア・
日高を二軍に落とし、覚醒させるなどいろんなマジックを炸裂。ますます私を元
気にしてくれました。
 しかし、後半になると体調が悪化。監督室で休むというシーンが増えました。
9月後半の日本ハム戦でまさかの4連敗。これでオリックスはプレーオフ進出を
逃します。それから3ヵ月後の12月15日。仰木さんは亡くなりました。あまりにも
突然のことだったので、今でも信じられません。合併球団をプレーオフ争いまで
まとめあげ、元気をくれた仰木さんに心から感謝したいです。

仰木さんが呼んだNK砲
 仰木さんの死から数日後、オリックスに願ってもない大砲2人が入りました。巨
人から戦力外を受け、迷っていた清原が「仰木さんの魂を受け継ぎたい」とオリ
ックス入りを決意。一方で近鉄で4番を打っていた中村も「清原さんと野球をやり
たい」とオリックス入りを決意。キャンプからNK砲として周囲の期待も大きいもの
でした。
 亡き仰木さんの魂を受け継いで、2年目のオリックスは強力な助っ人を加えて
スタートします。

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