宮地克彦選手
 尽誠学園高時代は投手として活躍した宮地選手。大越、出口と熾烈な投げ合いを演じた
選手がプレーしたチームに入ったのも何かの縁なんでしょうね。
 宮地選手は90年ドラフト4位で西武に入団。高卒ルーキーで開幕1軍に抜擢されるほどで
したが、フォームを崩して調子を落とし、持ち前の打撃センスを生かすために外野手に転
向しました。
 なかなか出番に恵まれませんでしたが、2002年。当時の伊原監督の下、3番打者として
活躍。リーグ優勝にも貢献しました。しかし、2003年は膝の故障で出番が減り、オフに戦力
外通告を受けます。数球団のテストを受けた結果、村松(現オリックス)を放出したダイエ
ーが獲得に名乗りを上げ、ダイエーにテスト入団。
 シーズン途中からレギュラーに定着し、規定打席不足ながら打率.310の好成績を残しま
した。翌2005年は開幕からレギュラーを獲り、オールスターにも初出場。プロ16年目で初
の規定打席到達を達成し、「リストラの星」とも呼ばれました。
 今年は代打での出場がメインでしたが不本意に終わり、戦力外通告を受けました。西武
から戦力外通告を受け、テストしているときに宮地選手を追った番組が放送されたのでそ
れを見て注目していた選手だけに残念です。

宮地克彦
1971年8月28日、大阪府生まれ。尽誠学園高から90年ドラフト4位で西武に入団し、2004年にダイエーに移籍。
2006年成績は48試合、71打数11安打 打率.155 0本塁打 2打点
通算成績は457試合、1151打数316安打 打率.275 12本塁打 111打点