メジャーリーグでの実績は少ないが、2003年途中に韓国プロ野球入りして活躍します。 |
後半戦だけで.303 14本 51打点という成績を残します。2004年には.343 33本 105打点の |
成績を残し、首位打者を獲得。本塁打は2位、打点は3位と三冠王に近い数字で、オリック |
スがチームに不足している長距離砲として獲得。合併球団最初の助っ人外国人になりまし |
た。 |
オープン戦は本塁打1本に終わりますが、打率は3割を超え、前年度韓国プロ野球の首 |
位打者としての実力を見せますが、開幕してからは不調に陥りますが交流戦に入ると本来 |
の打撃を取り戻し、広島戦では満塁ホームランを放つなど、徐々に日本の野球に慣れて |
いくかと思われましたが、交流戦が終わると調子は落ちてしまいます。結局.263
19本塁打 |
57打点に終わりますが、2年目の爆発を信じ、残留します。 |
2006年はオープン戦からなかなか結果が出ず、打率は2割台前半と低迷。1本目の本塁 |
打が5月5日と不振。その後二軍落ちし、あまりいい成績を残せませんでしたが一軍復帰。 |
一時本塁打量産体制に入りかけたこともありましたが流れに乗れません。期待されながら |
も5本塁打という成績に終わり、解雇されてしまいました。 |