| <紹介> |
| 将来の4番候補として99年のドラフト3位で入団した相川選手。入団当初 |
| は内野手でしたがイチロー、田口などが抜け、オリックスの外野陣の層が |
| 薄くなったこともあり、2001年あたりから外野手に転向します。 |
| 2001年。62試合に出場し、.245 4本塁打 14打点の成績を残し、イチロ |
| ーの抜けた穴を埋める活躍をします。2002年は打率が大きく下がりました |
| が本塁打、打点ともに自己記録を更新。2003年は故障出遅れますが、後 |
| 半戦だけで.340をマーク。来季が・・・という期待を胸に2004年のシーズン |
| を迎えますが、キャンプ中に故障してしまい、村松が入ってさらに競争の |
| 激しくなった外野争いから脱落してしまいましたが、近鉄との最終戦。岩 |
| 隈の防御率のタイトルを奪うホームランを放つなど和製大砲としての実力 |
| を見せつけます。 |
| しかし、合併の影響もあってか2005年はわずか17試合の出場に終わ |
| り、期待されていた本塁打も0に終わるなど、選手生命の危機に陥ってし |
| まいます。2006年は背番号を30から53に変え、勝負の年でした。 |
| 一軍に上がったのは交流戦の中盤。故障の中村に変わって一軍登録さ |
| れた相川が昇格してからそれまでの悔しさをぶつけるかのように打ちまく |
| ります。結局相川選手はシーズンが終わるまで一軍に帯同し、日本人選 |
| 手では中村、清原と変わりない本塁打を放ち、ブレークしました。だが、 |
| 2007年はまた不振に陥り、本塁打はゼロ。 |
| 内外野ともに守ることが出来、飛ばし屋の相川選手。01年には西武の |
| 許、04年に近鉄の岩隈の防御率のタイトルを奪う一発を放つなど意外性 |
| のある打撃が持ち味です。ただ、怪我が多いのが玉に瑕なのです・・・ |