<紹介> |
星陵高校時代は現・ヤンキースの松井選手の2つ先輩。91年にドラフト6 |
位でダイエーに入団。2年目から一軍の試合に出始めましたが5年目の |
1995年。規定打席未到達ながらも打率3割をマークし、翌96年には58盗 |
塁で盗塁王のタイトルを獲得。ホークス外野陣のレギュラーとなりました |
が、1997年からはバッティングの調子が上がらず、2002年までは2割5分 |
前後に終わるなど苦難の連続でしたが2003年に村松選手のバッティング |
が開花しました。 |
後半戦を怪我で棒に振りましたが、150安打を放ち打率は.324。これま |
で2本だったホームランも6本放ち、後半戦ホークス日本一の原動力にな |
り、その年のオフに天然芝でのプレーを希望し、FAでブルーウェーブに移 |
籍。ブルーウェーブ最初で最後のFA戦士でした。前半から打ちまくり、開 |
幕2戦目では古巣ダイエーの新垣からプロ入り初の満塁弾を放つなど最 |
高のスタートを切り、アテネオリンピック代表にも選ばれました。 |
2005年は合併もあり出場機会が限られたせいか、.247と低迷。このまま |
ではいけないとその年のオフから猛練習。2月のキャンプでは休日返上で |
何度も練習。この姿勢は若手選手にもお手本になりました。そしてその猛 |
練習の成果もあり、中村監督が描いていたセンター平野、1番谷の構想を |
見事に打ち破り2年ぶりに打率3割を達成。2007年は3割には届かなかっ |
たものの、一年間チームを引っ張りました。 |
クールに黙々と練習する。一人の人間として非常に尊敬している人で |
す。練習すれば結果はついてくる。村松選手はこのことを直に教えてくれ |
ます。 |